旅をする高木 – No travel, No life —

【是非、読んで欲しい】このブログを書いている僕らについて

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こんにちは。

だんだんと風邪は良くなっていっていると思いますが、まだ熱有ります。

熱引かない!

前回、
「ブログ村に参加してるから、【世界一周】ボタン押してね。
と、お願いしたのですが、

 

じゃあ、このブログはどんな人が書いているの?

と思うと思います。

なので、

今回は、
・旅している僕らについて
・結婚から旅立ちまで
・旅する理由

 

を書こうと思います。書ける範囲で。

また、お願いですが、

これも読んでもらいたい。

※途中の写真と本文の関連性は無いと思ってください。

<僕らについて>

1

初の二人旅@ラオス

 

旦那・・・タカタカ

嫁・・・アヤコ

三十代コンビです

IMG_1749

アヤコさんの誕生日@キルギスタン

 

タカタカ目線で書きます!
ご了承を!


 

現在、タカタカは三十路真ん中のもう、おっさんです。

初めて旅に出たのは、単純なきっかけでした。

それなりに趣味もあり、まあまあの毎日を暮らし、普通のサラリーマンをしており、このまま年を取っていくんだなー。と、このまま年を取るの嫌だなー。と両方を思ってた、28歳の時。

大型の夏休みが有りました。

全く用事の無かった俺に、

当時、旅にハマっていた兄がインドネシアへの旅に誘われます。

それまで、一度も海外に行ったことない僕は、

「試しに行って見ようかな。」

くらいで、

「一緒に行く。」

と返事をし、

急いで、パスポートを取りました。
・荷物で何が必要なのか。

・どれくらいのバックパックの大きさが良いか。

・ビザって何?

・飛行機の搭乗手続きってどうやるの?

全く何も知らなかったので、

全て兄に聞き、兄任せでセントレアに行ったのを覚えてます。

DSC06245

ホームステイ先のみんなで@キルギスタン

 

まずは、中国の上海を経由して、トランジット先のマレーシアのクアラルンプールに降り立ち、そこからLCCに乗り換え、インドネシアのソロと言う空港に行く予定でした。
今からしたら、なんでもわかりますが、

「トランジットって何?」

「まあ、付いてきて。」

と言ったのを覚えてます。

初めての海外は中国でした。
初めて海外に出た僕は、中国に降り立った時、

「香辛料くさっ!」

って思いました。

しかし、ここ上海では、空港から、外には出ません。

海外に来たと言う認識は全くありませんでした。

そして、上海からマレーシアのクアラルンプールへ。

クアラルンプールで、1日の滞在があった僕らは、初めて空港から、外に出ました。

今でもはっきり覚えてます
クアラルンプール国際空港を外に出た瞬間、

アジア特有の生暖かい風を体で感じた時に、

強い生きる力みたいなのを感じました。

 

今まで、空気をこんなに特別に感じたことはありませんでした。

そして、この空気感をもっと感じたい。

と思ったのが、旅にのめり込んで行く理由でした。

そして、実際、街に出ると、人々の生きる力はとても大きく感じ、色々な刺激を受けました。

この旅行で、

マレーシアのクアラルンプール→インドネシアのジョグジャカルタ→インドネシアのジャカルタ→シンガポール
と周った僕は、

純粋に

また、アジアを旅したい。

と思い始め、それは必ず実行しようという強い思いでした。

それから、大型の休みになる、

・正月

・ゴールデンウィーク

・夏休み

はほぼ海外旅行のバックパッカーの旅に出るようになりました。

3回目からは、一人で行けるようになり、ここらから夢を持ち始めます。

世界一周したい。

 

 

そして、三十路も通り過ぎた33歳の時に、通算12回目の旅にミャンマーへ旅に出ます。

世界一周が目標でしたが、

「30歳を過ぎて、旅とかずっと続けるのも無理かな。」

と思い始めてました。

同時に、僕の父親はこの時に病気が発覚しました。闘病が必要でした。

そして、兄は青年海外協力隊の参加が認められ、この時のちょうど1月から2年間、海外に行くことになったのです。

母親はこの時には既に一緒に住んでいませんでした。

なので、

「この旅を最後に旅をやめよう」

と思ってました。

 

一番の理由を

「30歳過ぎたから。」

ということにし、自分自身を無理やり納得させようとしたのです。

 

ミャンマーはすごくいい国でした。

たぶんまた訪れる事はなかなかできない

と思い、行きたい所も数々巡れて、色々な人とも知り合えました。

そして一番は人が優しいです。

あと、自慢じゃないですが、ミャンマーでは僕みたいな顔がカッコイイとされるようで、老若男女問わず、

「カッコイイカッコイイ」

と言われ、気分良かったです。

あっ、話しを元に戻します。

そして、ミャンマーからまずはタイのバンコクへ帰国の途に着きます。

ミャンマーのヤンゴンから、バンコクへ移動し、バンコクでは旅の疲れを癒そうと2泊の予定で戻ってきました。

バンコクスランナプーム空港に到着したのは、午後9時くらいでした。

まだ街中に出る乗り物エアポートリンクと言うモノレールが動いている時間でした。

「宿が決まってないから、ひとまずカオサンに行こう。」
と思ってました。

空港駅に着くと、一人の日本人の人が同じくモノレールを待っていました。

「この時期は正月で、日本人旅行者が多いからな。」

と思ったくらいで、通り過ぎました。

モノレールに乗り、最終駅で降りました。

先ほどの日本人の人も同じ駅で降りたのが目に入りました。

「ここで降りるのは、目的地がカオサンかな。

この時間、バス無いし、タクシーシェアできないかな。」
と思い、僕がこの人に声をかけました。
どうやら、カオサンまで行くらしく、タクシーシェアの件もノッてくれました。

さらにはカオサンに向かう韓国人もここに加わり、3人でタクシーでカオサンに向かう事に。

車内、3人はお互いの事を少しだけ話しました。

・バンコクにはなんで来ているのか

・名前、年齢など

・韓国でも日本でも有名な人誰?

みたいな、だんだんと打ち解けていけたのが、わかりました。

カオサン到着後、韓国人の人は既に宿が決まっているとの事で、先にバイバイをしました。

残った僕らは2人とも宿が決まってなく、シングルルーム2つを探し続けました。

7件目くらいでようやく空きがあり、

その後、2人で夕食を食べに行きました。

この人はこの時、

・31歳でハノイで日本語教師をしている。

・バンコクにはビザの関係で少し訪れる必要があったので今回来たとの事。

夕食を食べつつ、お互いの事を話しました。

この時、この人が言った言葉です一番心に残った言葉、

「30歳過ぎてから、本当に自分のやりたいことをやろうと思った。
だから、ハノイで働いている。」

33歳になって、やりたいこと、夢を捨てようとしてた僕には衝撃的な言葉でした。

そして、この人は自分に、素直に生きている素敵な人だと思いました。

この人が今の奥さんのアヤコさんです。

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出会いの場@バンコク

 

そして、3か月後にハノイ、日本の遠距離恋愛が始まりました。

日本に帰った僕は世界一周の夢を捨てきれず、悶々としていました。

・お金は十分ある。

・時間が無いから、仕事はやめよう。

・これって誰かに迷惑かかるかな?

・父親の事が心配だ。

いつも、こんな事を考えてたと思います。

IMG_2184

二人が大好きな場所ミャンマー@バガン

 

そして、旅はやはりやめられませんでした。

ゴールデンウィーク、夏休み共にハノイに行き、アヤコさんと一緒に

ラオスやサパを巡りました。
そして、夏休みのハノイ旅行中にハノイにある

東南アジア1素敵なホテルで、僕はアヤコさんにプロポーズをしました。

友達と一緒に作ったプロポーズビデオは大変だったけど、なんとか思いが伝わりました。

そして、10月にハノイでも仕事の任期を終えたアヤコさんが日本に帰ってきました。

 

闘病中の父親の病状はこの時は安定していました。

挙式が決まった11月、父の病状がいきなり悪化しました。
医者には

「もっても、2ヶ月」

と言われました。

予定してた挙式を3月から1月に急いで、変更しました。

変更できて良かった。

この日から忙しかったが、なんとか挙式の日を迎えました。

父も参列してくれました。

チャペルでの挙式と記念撮影が終わったら、披露宴です。

しかし、父は

「体調が悪いから」

と、記念撮影が終わると帰りました。

午後4時、披露宴が始まりました。

予定は段々と無事に過ぎていきます。

一度だけのお色直しの時に、

兄が

「病院に向かうから、披露宴抜ける。」

と伝えてきました。

その時、すでに父はもういませんでした。

事実を知った僕は決心しました。

僕らの使命は披露宴を最後までやりぬくことです。

 

無事に全てを終えた僕とアヤコさんは病院にすぐに向かいました。

呼吸をしていない父に、

最後まで披露宴をやりきったことを泣きながら報告しました。

この日に僕は最大に愛する人を手に入れ最高に誇れる人を亡くしました。

 

しかし、結婚式、父に見てもらえて、僕らは嬉しかったです。

この次の日に通夜、2日後に告別式でした。

この辺りの事は忙しすぎて、あまり覚えていません。

しかし、結婚してすぐにこのような事があっても、アヤコさんは僕についてきてくれました。

準備やたくさんいる親戚への挨拶など、

大変な状況のなか、たくさん協力してくれました。

小さな会社を経営していた父の後、僕はサラリーマンと経営の2足のわらじを始めました。

 

しかし、やはり、体は持ちません。

朝、始発から2番目の電車で会社に向かい、夕方に戻ってきて、父の会社の事をやる。

ちょうど勤め先のプロジェクトが5月末で終わるので、

それをもって退職させて欲しいと願い出ました。

父の会社を継ぎました。

しかし、やはり、世界一周の夢は捨てれませんでした

 

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新婚旅行先@モルディブ

 

アヤコさんと結婚したから、逆に

この人と一緒に旅に出たい

と強く思うようになってました。

それから1年3か月後。

兄も日本に帰ってきて、経営のバトンタッチをしました。

 

世界一周をする為です。

ずっと持ち続けた夢を2014年10月に出発しました。

本当はブラジルワールドカップに行きたくて、2014年5月に出発しようと思ってたけど、全然間に合いませんでしたが(笑)

そして、僕らの旅の意味。

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3

 

安っぽいかも知れませんが、

今、僕らはやりたいことをやれる幸せを実感しています。

 

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