旅をする高木 – No travel, No life —

移住資料館で聞くことができた「僕らが知らないイグアスの歴史」

 

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オラ、TAKAです。

イグアス移住区のほぼ中心地に、

「イグアス日本『匠』センター」というのがあります。

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ここは、イグアス移住資料館なのです。

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ここを作ったのが、

ペンション園田のオーナーである、園田八郎さんです。

現在も管理は園田さんがされています。

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僕等は、ペンション園田には泊まってないのですが、

街を歩いているときに、車に乗っている園田さんが

「こんにちはー!」

と声をかけていただき、

この移住資料館の存在を聞き、

わざわざ時間を作って、僕ら二人の為にここを案内してくれたのです。

 

移住資料館の中に入ると、

ここイグアスで使われていた物がたくさん展示されており、

そのからはここの歴史が簡単に感じられました。

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整備もされていなく、0からの開墾に使われた機械たち。

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僕らは、初めてこれらを目にしたので、なんだか分からなかったですが、

耕運機のエンジンたちでした。

これ、日本から運んできたんでしょうね。

 

そして、ここから園田さんが、じっくり時間をかけて、

イグアス移住区の歴史+パラグアイの移住の歴史を説明してくれました。

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現在、パラグアイの中には8箇所(だったと思います。間違っていたらすいません)

日本政府が承認してる移住地は3ヶ所しかありません。

ラパス・ピラポ・イグアスの3つです。

日本政府が承認している、していないの違いは、

日本政府がパラグアイ政府と協定して、

ここに日本人が住んでも言いというお墨付きと、

土地は全て日本政府が準備してくれる物らしいです。

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日本からパラグアイへの移住が始まって、今年で80周年。

イグアス移住区の開始に至っては、1961年に始まり、今年で55周年だそうです。

 

ここからは園田さんの実経験でお話されていた内容。

 

園田さんは家族でここイグアスに移住することを決めたそうです。

その時、園田さんは12歳。

園田さんのお父さんが、どこからか移住の話を聞いてきて、移住の決断をしたそうです。

相当な決断だと思いました。

だって、全てを置いて、全てを捨てて、まだ見たことの無い国でこれから、一生暮らすのですから。

 

そして、このアルゼンチナ号に乗って、パラグアイへと旅立ったそうです。

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1962年の3月12日に鹿児島を出発し、

3月14日に神戸の移住センターに到着。

ここ神戸で2週間程度滞在し、移住の準備をやスペイン語の勉強をしたそうです。

ここに来て、アレも必要、コレも必要。と色々あったそうです。

 

そして、4月2日。日本を出向。

狭い船内での生活が1ヵ月半続いたそうです。

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1つの部屋に1家族4人が詰め込まれ、船内はお世辞にもきれいな状態を保てなかったそうです。

そして、初めての船で、船酔いする人が続出。

桶に吐かれた汚物を、

船酔いの無かった園田さんは何十往復もして、海に捨てに運んだといっていました。

それは何日も続いたそうです。

 

とても、過酷な1ヶ月半が過ぎ、

5月中旬にブエノスアイレスに入港。

 

そして、今度は陸路で、ブエノスアイレスからイグアスへと移動しました。

 

当時、政府から聞いていたのはこんな移住先。

・肥料をやらなくても、作物ができる豊富な土壌

・パラグアイで2番目の都市、エンカルナシオンからわずか2時間にある場所

・自然災害(地震)がとても少なく、安心して暮らせる

これらの土地を政府が準備し、ここに住みませんか?

というもの。

 

しかし、実際は違っていました。

簡単に言えばジャングルです。

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政府が準備したのは、1km感覚に作られた道路だけ。

それ以外は、これから住む人たちが、開拓していかなければなりません。

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移住してから、毎日、毎日、木を倒し、雑草を狩り、岩を運び、

そして、ここらは当時、野獣が住んでおり、その野獣との戦いだったそうです。

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その開墾の時に使われたもの達が、たくさん展示されておりました。

その道具達も、使っては壊れ、直し。

直しては壊れ、さらに修理しという連続でした。

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そして、移住先がある国はパラグアイだけではありません。

ブラジル、ボリビア、ペルー他にも存在します。

そんな移住先に移住していった人たちの悩みが「嫁さんがいない」だったそうです。

なので、こんな移住者もいたそうです。

「花嫁移住」

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移住していった人たちと結婚するために、移住した女性達です。

写真とプロヒールだけを見せられて、「この人と結婚しよう」と決めた、これまた勇気ある決断。

今の時代では、考えられないのではないかな。と思いました。

 

移住が開始された、1961年。

日本は戦争に負け、貧困にあえぐ人もたくさんいたそうです。

しかし、そんな日本に高度成長期がすぐ訪れます。

1964年。オリンピックが開催される事が決まったのを境に日本は成長期へと突入。

 

新幹線を始めとした、私設、設備が続々と作られ、

それに比例して、日本に住む人は人々は裕福になっていったそうです。

それまで、2そく3もんだった土地も、新幹線が通ると決まると、高騰。

これで、かなりの人たちが儲けたそうで。

そんな裕福な人たちの中にも、「イグアスに来て、もっとお金持ちになろう」と思って移住してくる人たちも多かったようです。

 

しかし、イグアス移住地は長い間時間をかけて、開墾され作られました。

そんな昔に使われていたものたちは、ホントに日本と全く同じ物たち。

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五右衛門風呂なんかも!

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桶。

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そして、昔の通貨・紙幣も飾られていました。

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移住者のパスポート。

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ここに、12歳の園田さんがいました。

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そして、時代は進み、ほぼ今のイグアスの町が出て上がったとき、

JICAで働いていた園田さんが仕事で使っていたものたち。

ワープロやタイプライター、

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パソコンまで。

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NECのPC-8031。

古いけど、これがここにあるのってある意味最先端。

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僕の親父が初めて買ったパソコンは、25年位前のNEC PC98シリーズの物でした。

たぶん、Windows3.1より古いかも。DOSの時代かも。

それより以前に、ここイグアスではパソコンが使われていたなんて、びっくり。

 

そして、ここからは娯楽施設。

街にはじめてきたカラオケ。

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そして、映写機。

これで初めての寅さんや紅白を見たそうです。

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これ。

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そして、イグアス資料館には日本の心も飾られていました。

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手まりとか、僕のおばあちゃんも作ってたなあ。

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けんだまや、人形。

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週に1回、デイケアセンターでこういった物を作ったりしているそうです。

 

そして、神輿!!

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神輿に使う和太鼓

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太鼓は木を切り倒すところから作ったそうです。

すごい

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太鼓を作る工房もあるらしいです。

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こういった日本の心と伝統を受け継いでいくのは難しいとことだと言っていました。

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今はまだ、1世の人、2世の人がいるから大丈夫だけど、

きっと時間がたつと、伝えていく伝統、文化も少しづつ少しづつ変わっていってしまうだろう。と。

それを心配されていました。

 

その後、園田さんは、僕らを乗せて、

このイグアスの大地を見せに連れて行ってくれました。

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さきほどの話を聞いた後に見たこの景色。

一段とキレイに見えました。

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20km離れた場所には空港もあり、そんな飛行機の姿もばっちり。

この日に涼む夕日と大地の間には、55年の歴史でキレイに作りだされた物が凝縮されているんだな。と

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イグアスはとても良い場所だよ。と園田さん。

でも、それまでには、僕らが想像することを超える苦労があったのは、

園田さんから感じ取れました。

 

それでも、ここで聞けた話は目に見えないかもしれませんが、

こういう場所、人達もいるとよう事実と共に、

僕らが生きていくうえで、この話は糧になるだろう。と自分勝手に思いました。

 

園田さんはとてもよい人でコレ以来、町で会うと毎回声をかけてくれて、

冗談を言い合いながら、握手する人になっていました。

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これって、日本そのものですよね、ホントに。

 

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