旅をする高木 – No travel, No life —

ベルリンの歴史。ベルリンの壁と言う存在

 

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グーテンターク、TAKAです。

コロンビアのボゴタから、ヨーロッパであるドイツ、ベルリンへ移動した僕ら。

「CUBE LODGES」に滞在しながらの5日間、ベルリン観光です。

 

到着した日は、ホテルに着いたらすで夕方。

寒くて、おまけに小雨も降ってるもんだから、この日はあきらめて、宿でのんびり。

 

翌日。

4月28日

ベルリンの町巡りです。

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ベルリンと言えば、やはりベルリンの壁

なので、この日はベルリンの歴史とベルリンの壁がなぜできたかを勉強しがてらの観光です。

 

ベルリンの壁記録センターという、東西ドイツに引き裂かれた当時の様子を、

今も残っている史跡?というか、歴史的建築物を実際に見ながら、学べる場所へ。

 

ベルリンの壁

冷戦の真っ只中にあった1961年8月13日に

ドイツ民主共和国(東ドイツ)政府によって建設された、

西ベルリンを包囲する壁である。

1989年11月10日に破壊され、

1990年10月3日に東西ドイツが再統一されるまで、

この壁がドイツ分断や冷戦の象徴となった。

(wikipedia)より

 

では、なぜドイツが分断されたのか。

第二次世界大戦中の1945年3月、1,250機の爆撃機がベルリンを攻撃し、

およそ2万人のベルリン市民が死亡、150万人が住居を失った。

ベルリン中心部は完全に破壊された。

1945年4月21日、ソヴィエト赤軍とポーランドの部隊がベルリンに侵攻した

1945年4月30日、ヒトラーは総統官邸の地下壕で自殺し、

5月2日、ベルリン防衛軍は降伏し、ベルリンは陥落した。

1945年2月11日、

ヤルタ会談において連合国はドイツをイギリス、フランス、アメリカ、ソヴィエト連邦の4か国で占領し、

ベルリンも4つに分割することが決められた。

ベルリンは連合国が4地区に分割して統治することになったが、

4地区を通じて同一の司令官が管轄するものとされた。

しかしこのとき、すでに西側諸国とソヴィエト連邦との間で激しい政治対立が起こっていた。

これによって、ベルリンは東西に分断されることとなる

(wikipedia)より

 

当時のドイツの様子

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出典:blogs.yahoo.co.jp

 

地下鉄を降りるとこの景色。

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この長いポールが並べられて場所に、

かつての「ベルリンの壁」が存在しました。

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町のど真ん中に、3.6mのコンクリートの壁が延々と続きます。

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実際には壁はありませんが、容易にして当時の様子が想像できました。

 

1961年から1989年まで、東と西を分けていました。

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ベルリンの壁のすべての長さは、150㎞以上

そう、この景色はただの一部にしかすぎません。

 

建物の壁には、当時の写真が。

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ベルリンの壁のすぐ隣には、教会跡地が今も残されていました。

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これは、当時の東西冷戦によって破壊された教会。

今では、冷戦の証、そしてベルリンの壁を見続けていたが、

壁よりも先に破壊されてしまった教会として有名らしい。です。

 

町の中に広がるベルリンの壁を見た後、

「ベルリンの壁記録センター」へ。

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当時の様子を伝える資料がたくさんあり、

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写真からは、その様子がひしひしと伝わってきます。

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西ドイツ

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当時の東西ベルリンの壁

西ベルリンが壁に囲まれていました。

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この教会がさきほどあった教会。

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さっきの教会の跡地です。

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年代に注目してください。

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壊されます。

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その時の様子。

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壊された後には、教会のシンボル十字架のみがそこには残りました。

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十字も曲がってしまっている。

東ドイツの象徴であった教会だったようです。

 

そして、ベルリンの壁記録センターの屋上からは、

壁と各国側に置かれた2mの非武装地帯の境目、

そして、当時の形のまま残された監視塔が見ることができました。

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3.6mという壁

決して高すぎる壁ではありませんが、

 

当時の東ドイツの人たちは、

この壁がものすごく、とてつもなく高く、

 

「西ドイツは月よりも遠い存在である。」と言わしめたそうです。

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監視塔から西にさらに伸びる壁を実際に見にいってみました。

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東ドイツ側に書かれた言葉

「Glory Hole」(栄光への穴)

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壁はやはり当時の東西ドイツの象徴として、

今でもたくさんの意味を持っているのです。

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ベルリンの壁が壊され、西ドイツに人が流れ出る光景は、

僕もTVで見て、ちゃんと覚えています。

それもそのはず、1989年の出来事なのです。

 

ベルリンの壁を見た後。

市内観光へ。

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ベルリンの象徴、「ブランデンブルク門」

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ここは昼間でも人がたくさん。

そして「ドイツ連邦議会議事堂」

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チケットをもらえば、この上にも登れるようです。

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「ユダヤ人犠牲者記念堂」

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これ、石のオブジェが無数に並べられた一角に、地下への入り口がある博物館。

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昔の、ユダヤ人に対するナチス・ドイツの博物館なのです。

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ナチス・ドイツの勢いは、

ドイツ国内だけでなく、たくさんの国へも影響が及んだ。

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ここにはヨーロッパの地図だけ書かれていますが、

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のちにケープタウンにある「ユダヤ博物館」に行ったのですが、

その記録によれば、アフリカ大陸の国にもナチス・ドイツの影響が及んでいたらしいです。

 

ヒトラーは、なぜユダヤ人に対し、このような行為を行ったのか。DSCF3757

その答えは、ポーランドで教えてもらえました。

その記事は後日。

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この日で学んだ事で一番強く心に残ったこと。

今のドイツ人の人たちは、

こういったドイツの歴史をきちんと学んで理解しようとしている人が多い

という事でした。

悪い部分もきちんと理解し、それを受け止めているように感じています。

その姿勢って、とても大事でとても重要な事だと思います。

なぜなら、

そこから、人は考えて行くから。

です。

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壁は、これから先もこのまま残され、

静かに人々に語り継がれていくのでしょう。

 

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