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【世界遺産】青空の下、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 その1

 

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ドブリーデン、TAKAです。

クラクフに来た、本当の目的地、「アウシュビッツ収容所」

午後2時、アウシュビッツの唯一の日本人ガイド、「中谷さん」のガイドツアー開始。

 

ここで、おさらい。

「アウシュビッツ収容所」とは・・・

正式名:アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

アドルフ・ヒトラー率いるナチス党政権下のドイツが行ったホロコーストの象徴と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」

1940~1945年に造られた。

ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な絶滅政策 (ホロコースト) および強制労働により、

最大級の犠牲者を出した強制収容所である。

収容された90%がユダヤ人であった。
アウシュヴィッツ第一強制収容所は、
ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ[1])に、

アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)につくられた。

周辺には同様の施設が多数建設されている。

ユネスコの世界遺産委員会は、

二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、

1979年に世界遺産リストに登録した。

引用:Wikipedia アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

 

日本人も学ぶべき場所であるのは、当たり前でわかります。

中谷さんの基、

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午後2時、ツアーが始まりました。

今回のツアーは僕らを入れて、日本人が8人。

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アウシュビッツ強制収容所の入り口。

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有名な入り口

「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)

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しかし、それは名ばかりのもの。

ここに連れてこられたのは、

ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、

身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、さらにはこれらを匿った者など。

しかし90%がユダヤ人

当時、ヨーロッパじゅうのユダヤ人を捕らえるべく、この強制収容所が作られました。

当時、1000万人程度のユダヤ人がヨーロッパに住んでいたようですが、

そのうちの10%である約100万人がここに連れてこられ、処罰されました。

 

入り口から入るとすぐ左手に収容所がいくつも並んで建っています。

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周りには電線が張り巡らされ、400ボルトの電圧が流れており、逃げることはほぼ不可能。

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いくつもある収容所ですが、

アウシュビッツの収容可能人数は最大2万人。

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しかし、実際にはこの2万人を超える収容者がいたため、

ここアウシュビッツよりも巨大なビルケナウ収容所を建てたのです。

しかし、この人数でも、ここに連れてこられた人の75~80%は「価値無し」とみなされ、

すぐにガス室送りだったそうです。

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(当時の連れてこられたユダヤ人の図)

今回、訪れたのは、

アウシュビッツ(第1収容所)

ビルケナウ(第2収容所)

の2つ。

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第3収容所もありましたが、今は残されていません。

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ここに連れてこられた人は、全部で130万人

そのうち90%の110万人がユダヤ人

14万~15万人がポーランド人

2万3000人がローマ(インド系ジプシー)人

1万5000人がロシアの奴隷

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残された収容者の写真は永遠と続くように思われました。

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ここに連れてこられた人は、ほとんどの人が、ここに来た意味を理解してませんでした。

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15歳以上は大人とみなされ、それ以外はすぐにガス室送り。子供も赤ちゃんも。

体力のないものもすぐにガス室送りでした。

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アウシュビッツの当時の様子の模型。

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ガス室で使われた、チクロンBというガス。

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「シャワーをあびろ」と言って、裸にされた人はガス室に送られました。

これがガス室。

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上の穴から、チクロンBを入れるのです。

さらにその横には、死体焼き場。

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この死体焼きもユダヤ人がやらされていたのです。

カンボジアのキリングフィールドのようです。

 

これ、全て靴。

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これはメガネ

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義足。

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食器類

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かばん。

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名前が書いてあるのは、

「あとで、返すから名前を書いておけ」というわずかな希望。

しかし、実際には戻ってきません。

 

赤ちゃん、幼児の服。

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靴。

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ブラシ。

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クリーム。

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布団

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この膨大な量を目にしたとき、

なんだか、すごく近くにこの景色を感じれました。

なんて言うんだろう。この非日常の景色の中にある、日常という感じ。

 

ここでの収容者の生活もみることができました。

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ガス室に送られず、ここで収容生活を強制させられた人は、すべて印をつけられました。

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自分は、ユダヤ人だ。

自分は、同性愛者だ。

という区別です。

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収容部屋。

床は木製で、ワラとマットの3段ベッドのみです。

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1日に与えられる食べ物はわずか1500kcal。

しかし、これはすべて不平等であったのです。

看守のひいきもここに入っていたのですね。

 

収容者の詳しい生活が書かれた本

「夜と霧」

 

実際の収容者の生き残った方が書かれた本です。

 

ここはまた別の方法で人を罰した場所。

「死の壁」。

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多くの被収容者がこの壁の前で銃殺刑に処されました。

 

アウシュビッツの端っこ。

ここからの脱走は不可能であり、それは実行できるものではありませんでした。

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では、なぜ、ドイツ軍は、ユダヤ人に対して、このような行為に及んだのでしょうか?

続きは次回。

 

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